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アメリカ独立記念日とは?

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米国独立記念日について

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こんにちは。もうすぐ7月4日ですね!この日は、どんな日かご存知でしょうか?アメリカの独立記念日ですね。

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今から、244年前、1776年7月4日にイギリスから独立する「独立宣言」を採択した日として祝日に制定された独立記念日になります。この日は、アメリカ人にとって「最も重要な祝日」として、世界中が注目をしている日でもあります。アメリカ中で、独立記念日の一週間は「クリスマス」「感謝祭」などと並び、祝日モードとなります。

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ワシントンDC、ボストン等の都市では大型の花火や、パレード、野外コンサートなど行われ、国内外から大勢の観光客で賑わいます。

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では、いったい、、どのような経緯でイギリスから独立することになったのか??簡単に解説します。

アメリカ独立の歴史

1700年代半ばのアメリカは、イギリスの植民地でした。

13の植民地は、イギリスの定めた法律や制約に縛られたくさん税金を課されることに不満をもっていました。

イギリスの議会に代表を送ることができない植民地が、英国の税金を納める必要はない、と考えました。入植者のほとんどは、イギリスの統治から解放されたいと思っていました。

しかし、彼らが独立を手にするまでには、長く苦しいプロセスが必要ではありました。入植者の中には、自分はイギリスの市民であるという自負を捨てられず、国王ジョージ3世に忠誠を誓う人々もいたほどです。ただ、徐々に入植者たちは、英国による統治の実態に不満を感じていた。

7月4日ペンシルバニアのて独立宣言

1765年までには大勢の入植者が「自由の息子たち」という秘密組織に加わり、イギリス政府に対抗する行動を計画し、中には暴力をも辞さないという人々も大勢いました。こうした動きに対抗してイギリスは、法律を執行するためにさらに多くの軍隊を植民地に送り込みました。

ボストン虐殺事件

1770年3月5日、イギリス軍が、抗議をするボストン市民の集団に向けて発砲して5人を殺害し、その他にも負傷者を出しました。この「ボストン虐殺事件」に、入植者たちは衝撃を受け、激怒しました。

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1765年までには大勢の入植者が「自由の息子たち」という秘密組織に加わり、イギリス政府に対抗する行動を計画しました。

ボストン茶会

もうひとつの大きな出来事は、紅茶に対する課税に関するものでした。紅茶は植民地で人気のある商品でした。その人気のある紅茶の税金は、「東インド会社」に有利なものでした。そのため、この紅茶の購入や消費をボイコットする運動を始めました。

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1773年12月16日、彼らはアメリカ先住民に扮装し、東インド会社の船に乗り込んで、積み荷の紅茶を「ボストン港をティー・ポットにする」といってボストン港に投げ込んだ利しました。これをボストン茶会事件といいます。

これが発端となり、のちの戦争に発展します。

独立戦争

1775年4月19日、英国軍がマサチューセッツ州の民兵軍を襲撃しようとしたことから、独立戦争が始まりました。入植者たちは直ちに戦闘部隊を組織し、英国軍に対抗しました。

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1775年5月には第2回大陸会議が開かれ、バージニア州の代議員ジョージ・ワシントンが大陸軍の総司令官に選出されました。

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ワシントンは、独立戦争中を通じてアメリカ軍を率い、イギリス軍に対抗しました。入植者たちはそれから8年間にわたり、独立を求めて必死に戦いました。

彼らはイギリス軍に比べて訓練や装備の面では劣っていました。しかし、有利な面もありました。それは、強烈な目的意識の下に統一されていたことと、慣れた土地で戦っていたことでした!

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そして先住民から学んだ新しい戦術を使ったことです。彼らは軍服もないことが多かったのですが、それが森の中でのカムフラージュに役立ちました。これに対して英軍兵士は、「レッドコート」と呼ばれたことからもわかるように、派手な赤の軍服がすぐ目につきました。

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自由のための戦闘が続く一方で、ペンシルベニア州フィラデルフィア市では、もうひとつの戦い、すなわち言葉の戦いが行われていました。

1776年7月2日、大陸会議は苦情の一覧の第2稿を作成し、大陸会議の議長ジョン・ハンコックがこれに真っ先に署名をしました。王権はこの文書、すなわち独立宣言を反逆とみなし、これに署名した56人は処刑される恐れがあありました。

1776年7月4日に独立宣言を承認し、イギリスとのつながりを正式に断ち切って、新たな独立国家、アメリカ合衆国を形成しました。

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独立記念日を7月4日に祝うのは、その日にイギリスからの独立が正式に宣言されたからです。

7月4日独立記念日

独立宣言の署名者の一人で、米国の第2代大統領となったジョン・アダムズは、妻への手紙に次のように書いています。

「私は(中略)この日が今後何世代にもわたって、偉大な記念の祭典として祝福されると信じている(後略)。華やかな儀式とパレード、ショー、ゲーム、スポーツ、祝砲、鐘、かがり火、そしてイルミネーションで、この大陸の端から端まで各地で祝福されるべきだ」

この日はその通り、ゲームやスポーツ、ショー、軍隊のパレード、花火などのイベントがあり、銃や大砲の祝砲が絶えません。

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しかし、銃砲や花火によるけが人が多く、死者まで出たため、1900年代初めには、市民の要望で当局が独立記念日には銃の使用を禁止し、花火も規制した。「安全で健全な7月4日を」というスローガンが広まり、現在は多くの都市が花火を禁止するか、またはかんしゃく玉や線香花火のような小さな花火だけを許可しています。

毎年7月4日は米国民の休日です。

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仕事や学校は休み、地域の人たちや家族と共に1日中ピクニックを楽しみ、ホットドッグ、ハンバーガー、ポテトサラダ、ベークドビーンズ、パイ、スイカなどを食べます。

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そして午後には、陽気な音楽、野球の親善試合、フリスビー、そして二人三脚、パイやスイカの早食い競争などのイベントが欠かせません。

独立記念日は、米国人にとっては、長く暗い歴史から勝ち取った勝利の象徴の記念日です。そのため、非常に大切なのです。

最後にパトリックヘンリーというバージニア州の議員の有名な演説の結びをお伝えします。

自由を、さもなくば死を

ヘンリーは、バージニア植民地におけるイギリスの支配に異議を唱える者たちの代弁者だった弁護士です。バージニア植民地議会の議員として、植民地を抑圧するための、印紙法等の一連の条例に対する反対運動を指導することになりました。

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ヘンリーの最も有名な演説は、1775年3月23日に行われたもので、バージニアはイギリスの支配に異議を唱えるニューイングランド地方の抵抗運動に参加すべきことを訴えて、特に有名な次の発言を演説の結びとしました。その一文が、「Give me liberty or give me death.」という一文です。

「自由を、さもなくば死を」アメリカ人にとって、不自由ということは死をも意味するという、圧倒的なまでの情熱を感ぜずにはいられないのです。

Give me liberty or give me death.

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